私は「繊細さん」だが、「非・繊細さん」がとても好き。

私はいわゆる「繊細さん」。HSPだ。

「繊細さん」である私は、世の中に生きづらさを感じることが多かった。

そんな中で共感し合える「繊細さん」は、私の大好きな人たち。

一緒にいると安心するし、私を肯定されている気分になる。

しかし私は、「非・繊細さん」もとても好き。

実際、私の親しい人には、「非・繊細さん」が多い。

私にとってはその人たちとの関わりが、とても安心できるものである。

それはなぜか?

「非・繊細さん」といると、私がついついしすぎてしまう心配を

「そこまで心配しなくても大丈夫なんだ」と思えるからだ。

想像力豊かな私は、ちょっとしたことで、

「迷惑だったかな」「向こうがつらい思いをしてたらどうしよう」

そんなことがとっさに頭に浮かぶ。

しかしそれは、だいたいが考えすぎで、被害妄想である。

でも、どうしても反射的に悪い方にとらえてしまうのだ。

私の関わる相手が「繊細さん」だったら、

私がしたことに対して、私が心配するように本当に、

深く考え、悩んでしまう可能性がある。

だから私も不安になる。

だけど相手が明らかに「非・繊細さん」ならば、

多分相手は私が心配しすぎるほど悩んでいない。そう思える。

なにも、「非・繊細さん」には気を遣わなくもいい、ということではない。

相手が表情に出したり、申し立てをしてきたりするまでは、

余計な想像をしなくてもいいんだ。

そこまで心配しなくてもいいんだ、大丈夫だ。

そう思わせてくれる。

「非・繊細さん」が私の周りにいてくれて良かった。

-『「非・繊細さん」がいるから「繊細さん」は生きづらいのでは?』という問いに対して-

「繊細さん」の生きやすさは、
周りの人が「繊細さん」か「非・繊細さん」かは関係しないと思う。

確かに、「繊細さん」からすると「非・繊細さん」の言動に対して不満を持つこともある。

なんでそんなに何も考えないの??よくそんなことができるなあ

ついそんな風に考えてしまうことも少なくないだろう。

だけど、人には「思考のレベル」というものがあると思う。

物事を深く考える人、そこまで考えていない人・・・いろんな人がいる。

多くの「繊細さん」が考えすぎてしまうクセがあるように、

日頃から物事をあんまり考えない人だっている。

その違いがあるだけ。決して悪意はないのだ。

もちろん、誰が良くて誰が悪いとかも無い。

だから、その自分との違いに嫌悪を感じるのではなく

(心配しすぎてしまう私が「心配しすぎなくてもいいんだ」と知ることができたように、)

「そう考える人もいるんだ!」と新しい発見を得る機会

自分の考え方を見つめ直す機会にできたら良いよね。

そうすれば、「繊細さん」と「非・繊細さん」、お互いの良いとこ取りができる。最高。

自分の考え方にとらわれずに、柔軟に自分を成長させることができる。

そんな人になれれば、周りの人が「繊細さん」か「非・繊細さん」かなんて関係なく、

前向きに生きられると私は思う。

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